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1973年1月23日にアメリカで生まれ、デンマークで育つ。
14才のとき海の向こうで空手に出会う。
あっという間にその魅力にはまる。
話せる日本語は「マワシゲリ」など、空手に関する事だけだったが、
道場に飾られた写真で見た、極真会館総帥 大山氏に憧れ来日。
内弟子となる。
同期生がほとんど辞めてしまう厳しい寮生活を1000日過ごす。
空手の世界では伝説的存在である、大山氏の生涯最後の内弟子。
来日後数年の内に、メキメキと頭角を現し、
1995 ヨーロッパ選手権重量級優勝、
1995 第6回全世界空手道選手権大会5位、
1997 全世界ウェイト制空手道選手権大会重量級3位などを獲得。
あと一歩で世界チャンピオン、と自他共に認める存在になった。
あと一歩で、彼の人生は次々転機を迎える。
恩師との死別。
愛してやまなかった所属団体の内紛。分裂。
そんな折に舞い込んだ
巨額の契約金、まだ見ぬ強者との戦いの誘い。
18歳で強くなりたい一身で異文化に飛び込んだ少年は、今度は異分野に飛び込んだ。
1998年7月からK-1に参戦。
「野球とサッカーくらい」ルールの違う世界に参戦した。
「全く何の準備もせずに」参戦した彼の自信は粉々に粉砕された。
再挑戦まで2年。
その間、偽名を使って海外の大会に出場までして
万全の準備、やがて実力は開花する。
2001年8月の日本GPでは、
決勝で2年連続優勝の絶対的優勝候補・武蔵選手を倒し優勝する。
異分野でも世界が見えてきた時、
少年時代から鍛えに鍛え上げた、人生で一番の武器が悲鳴を上げた。
試合中足の骨折。治療を焦り練習中で再度の骨折。
立ちたくて立ちたくてたまらかったリングへの復帰は3年数ヶ月後。
待望の再戦は2R TKOでの完勝。
感激のあまり、その試合で骨折していた事には気がつかなかった。
1年後日本での復帰戦。その試合でも、怪我を負う。
度重なる故障でも、一度もリングを降りようとは思わなかった。
現在は、格闘技の世界以外にもタレントとしてのテレビ出演、
現在は各種格闘技プロデュースや、企業や学校を対象に体を動かす重要性を訴えるセミナー・合宿など多方面にて活躍。
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